稲と草と

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昨日、田んぼの草刈をしていた。

草刈をしている際、よく感じることが

何故そこにその草が生えているのかということ。

 

田んぼでは特に「ひえ」に目がいく。

稲がいないと彼らは生えてこない、

けれども、稲がいると彼らはたくさん生えてくる。

 

ひょっとしたら彼らは稲が好きなのかもしれない。

つまりは、相性みたいなものがあり、

そこに生えているもの如何で

生えようと思ったり、生えることを辞めたりしているのかもしれない。

もちろん競争に負けて舞台から去るものもいるだろうが、

そもそもその競争をあきらめて、

「生えないでおこう」

と冬眠に入っているやつらもいるのかもしれない。

聞いた話では、草の種は土の中で何年も、何十年も眠り続けているのだという。

 

 

今回の田んぼは半分は不耕起(土をひっくりかえさない)。

もう半分も軽く鍬で起したのみ。

その不耕起の部分で、不思議なことに(といってはなんだが)

普通の耕起するやり方と遜色ないくらい立派に成長している稲たちがたくさんいる。

もちろん生育が芳しくない箇所もあるが。

 

田植え時、普通の常識からはあまり考えられない

「硬くて植えられない・・・」

という声もあったけれども

ふたを開けてみれば、ちゃんと活着してくれさえすれば、

見事に成長してくれたということだ。

おまけに、不耕起のところは、どちらかといえば、他の草の勢いがない。

 

「田んぼ」というと大変なイメージがあるが、

もしこの不耕起のやり方がそれなりの成果が上がれば、そう負担ではなくなる。

 

そもそも「農」に対してとっかかりの敷居が低くなれば、それがごく当たり前の一コマになる

「国民皆農」になるくらいならば、そう皆が大規模にならなくとも、

これくらいの何反という面積で十分生活していけるのだが。

無農薬・無肥料・不耕起・草取りは一度くらい

それでうまくいくことがわかれば、とっつきやすくなるのではなかろうか。

 

田んぼの中を裸足でどろだらけになる快感と

次の日に筋肉痛になる心地よさのオマケつき。

 

毎回田畑にはいろんな発見があり、それが自分に刺激を与えてくれる。

だいたい、人間社会と同じ縮図がこの作物界でもあるようだ。

それは、稲と隣り合わせにあるひえを見ていて感じたこと。

 

By Yasu

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