人間の生は、大地から一歩たりとも離れては生きてゆけないものです。人間の一生とは、大地より出て大地の上で暮らし、結局大地に還ってゆくものです。したがって大地は、所有や搾取の対象ではありません。大地に対する所有や搾取とは大地を犯すこと、つまり天の道理、地の道理に反することになります。

母の子宮がわれわれの永遠の故郷であるゆえに、絶対に犯してはいけない聖所であるように。

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東アジアの人々が西洋近代の文明を無分別に受け入れて以来、西欧近代の物質的繁栄、技術的利便性に目が眩んで、恥かしげもなく母なる大地を犯してきました。すべての生きものの母たる大地は、限りない人間の欲望による所有と収奪の対象へと転落してしまいました。その結果、人間は事実上大地を殺し、殺された大地がまた人間を殺すという、お互いに殺しあう、いわば相殺の悪循環が、地球上のいたるところで繰り返されています。

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西欧近代の物質的繁栄、技術的利便性の根底には、つねに対象の徹底的な客観化と、それに基づいた客体の徹底的な所有と利用、そして廃棄という残酷な考え方 ー天の道理、地の道理に反する考え方ーが、存在していました。そもそも利用と所有という考え方には、愛や畏敬の念といったものが入る余地はありません。こうした考え方が正気ではないことをあえて否定できる者がいるでしょうか。

今日のわれわれの暮らしは良くなったという声もありますが、それはあまりにも虚しく聞こえます。今日のわれわれの暮らしは、人間らしい健康な生といえるでしょうか。否という答えがためらいなく返ってきます。

人間の生命力がどんなにねばり強く、環境の変化に対処できる適応性を持っていたとしても、いまや最後の段階に来てしまったという感があります。地球上の全生命の危機という初めての出来事を前にして、われわれに参考となる過去の処方箋さえも、許された時間はあまりありません。いま、残った唯一の処方は、自然の理(天の道理、地の道理)に沿って、大地と人間が互いに助け合う相生の原理に回帰する道以外にないのです。

農哲学院は、『農哲学』という東アジアの先達の素晴らしい智慧を、単に『農』の遺産にとどめるものではなく、死に瀕している地球号を救う『土着の知』の一つとして捉え直し、次の世代の為の実践と普及に努めていきます。

農哲学院は、多国籍の教師や学生と共に、世界中の農哲学院を循環し、風土に合う農の営みと生活を実体験することで、国境を越え、地球人としてより自然と共存する生き方を学ぶ世界有数の農哲学専門の教育機関といえます。

その仕組みのひとつひとつが、画期的な内容をもつ学びの場です。


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